あくまで一ファンのうだうだ
2018年4月15日 日曜日
10時すぎだった。
「大事なお知らせがあります、11時になったらリンク先をご確認下さい」
との、ファミリークラブからのメール。
テレビでの重大発表!!みたいなのは、まあほぼほぼ重大ではないのだが、
「大事なお知らせ」
ほど、重大なことが起こるのを、経験上知っていたので、あまりに簡潔なメールの文章に恐ろしさを感じた。
先の木曜日深夜だったと思う、13日金曜日発売の某F誌が”渋谷すばる電撃脱退 ホテルにて記者会見”という記事を発表するということが、ツイッターで流れてきた。
そのときは「いまこのタイミングでそれはないやろ?もっと別の情報が出るんじゃないの?」という気持ちだった。そう思っていたし、そう信じてた。
そして、日曜11時。サーバー落ちたら許さないぞ、と思いながら繋いだら
案の定、落ちていた。おいおい、
文章による発表であったためか、しばらくして繋がった。
そこにあったのは
渋谷すばる氏からの
「この度、ジャニーズ事務所を辞めさせていただく決断をいたしました。」
という発表だった。
心拍数が一気に上昇するのを感じた。
渋谷氏に続いて、メンバーから寄せられた文面が、錦戸氏、丸山氏、安田氏、大倉氏、村上氏、横山氏と続いていた。
同時刻にメンバー全員(安田氏は怪我で入院のため欠席)での記者会見が行われていたらしい。
最後の横山氏が、芸名の”横山裕”に本名を添えているのを見たとき、あ、これは本当なんだな、と感じたし、こちら側の人間がどうこう言えないことが起こったことを確認した。
私自身、40年を超えて生きてきた中で、たくさんのバンドやアーティストのメンバー脱退、引退や解散を見てきた。メンバーの脱退がどうしても受け入れられなくて、ファンクラブに入っていたけど、応援するのをやめたバンドもある。これから応援しよう!と思ったバンドのメインボーカルが、突然亡くなるという悲しい出来事にもであった。
その中では、前向きすぎるぐらいだと思った。
ちゃんとメンバー全員で会見ができて、某誌にフライングされたものの(私が某誌を買うことは一生無いであろう)全員の言葉を、直接ではないにしろ、ファンに届けられたと言うことは希有なケースだと思うのだ。
最後の説得を試みたのは横山氏であったそうだ。
残されるメンバーから託されたものの大きさを思うと、会見での涙の重さに辛くなる。
残念ではあるし、寂しい。あの歌声が関ジャニ∞から無くなるのか、と思うと、何とも言えない気持ちになる。
だけど、味園ユニバース以降の渋谷氏を思うと、そうなるべくしてなったのかな、とも思う。自分の音楽に集中できる環境に一度身を置いてみて、そちらの世界に飛び込んでみたいと願うようになったのは、音楽をメインでやりたいと心のどこかで思っていたのなら、自然なことかもしれない。
「関ジャニ∞の、」
「アイドルやってます、」
などの枕詞は、関ジャニ∞に自分をつなぎ止めておくための言葉だったのかもしれないと、今になっては思う。
これは一ファンの憶測にすぎないが、
会見ではバラエティー的な部分が嫌になった訳ではないと言っていたけど、歌うことに集中したいときに、何かのバラエティー的な要素で邪魔が入るのはストレスであったのではないかとも思う。バラエティーならそちらに、音楽なら音楽に集中できる分には、楽しかったのではないかと。
音楽に専念し、勉強から始めるということに、メンバーを連れては行けないとなったときに、こういう決断にならざるをえなかったのかもしれない。
他にやり方は無かったのかという疑問は、たぶん一番近くにいる人たちが投げているであろうと思う。
渋谷すばる氏の歌い方は、最初はあまり好きではなかった。ビブラートの多い、しつこく前に出てくる、何かにずっと戦いを挑んでるような歌は聴いていると疲れることもあった。私は、”うまい” 歌は、おしつけがましいと感じることもあるようだ。でも、丸山氏との「道」では、こんなやさしい歌い方もできるのか、とちょっと感心した。
ソロより関ジャニ∞で歌ってるほうが好きだから、この先聴くかどうかは分からないけれど、どう変わっていくのか、音楽好きとして興味はある。ちゃんと音源を発表することができることになったとき、関ジャニ∞だった渋谷すばる、ということに甘えないで欲しい。
好みじゃなかったら、聴かないからな!
関ジャニ∞のほうは、メインボーカルが抜けるにあたって、まず歌割りをどうするのかという所が課題になってくるだろう。歌えるメンバーはいるので、どういう進化を遂げるのか、楽しみである。
ツアーは、チケットが取れたら行く気満々で準備中。
こうしてまとめて書いてみて、わりと客観的な自分がいたことに気づいた。好きで好きでしょうがなくて、どうの、というのではない、好きだけど、この人達は作り手なんだと、どこか冷めた目で見ている所があるのかもしれない。
でも、ここまで見た来たからには、この先を見てみたいのだ。
全員が選んだ道を、
この先をもう少し見てみたいと思うのだ。
いつか、別々の道を、全員が歩き始めるときまでは