スピッツのアルバム聴いてます。
やっぱり好きだなぁ。
「コメット」のイメージで。
黄色い金魚のままでいられたけど
恋するついでに人になった
下書き段階。あとから見返すとぐしゃぐしゃやなぁ。
でも、この段階の方が似ていたりもする。
線画。色鉛筆だと早い。部分的に色を変えられたりするし、失敗しても少しなら修正がきくので便利。
風船がまだ描かれていない。
色ぬり済み。ほぼ基本の3色で塗ってる。
肌も黄と赤の混色。
髪や風船の色も、ほぼ混色で出してる。
服は下にざっくり黄色を塗って、その上に青をおいてある。
塗り終わったら、乾かして色鉛筆の線を濃くしたりの調整。
水彩で塗ったとき出る、不思議な立体感みたいなの、すごく好き
スキャンして、ハイライトをいれたもの。
このままでいいか、加工するかでめっちゃ悩む。
オーバーレイレイヤーで、色みを足す加工済み。
ハイライトもすこしぼかした。
出来上がり。
渋:はよ来い、行くで
大:うん。さあ、みんなもいこう
みたいな、イメージで描きました。
”かけがえのない仲間”
というタイトル(?)でツイッターには上げました。
渋谷さんやったら、
「eighterひとりひとりもかけがえのない仲間やからな!」
とか言いそうな気がするな。
先の記事に追記しました。
大分書き足したり、語尾の修正をかけました。
こんな辺境の地の
つたない文章を読んで頂いた方には感謝です。
不快に思われた方がいらっしゃったら、
ほんまごめんなさい。
まあ、関ジャニ∞さんの元気が出るライブの映像化については、散々いわれているようで。
先日、渋谷氏が内容について、何か言われた見たいやし。
ジャケットのデザインについても。
とある方が「メンバーがお休みしたのは、付加価値ではない」と呟いていらして。確かに、そうやなと。
じゃあ、メンバーの欠けているライブを、なぜ出すのか。
今回のライブの映像作品化というのは、あの場所あの時間にあったものを記録するということではないのだろうか?もはや、作品ですらないのかも知れない。
あの場所あの時間、ステージの上にいた6人が感じたものを見せたい。いや、関ジャニ∞7人の感じたものを見せたい。それだけなのではないかと。
作り手のエゴが出るものになるかも知れないことも、承知の上だろう。
観る側が見たいものにはならないことも、承知の上かもしれない。
では、7人が感じたものとは何だろう?
私には、想像することしかできないが、知っていること、情報から考えるに
「メンバー1人1人の大切さ大きさ、と
スタッフ、
エイター(その場にいない人たちも含め)がいてくれる、ということのありがたみ」
ではないのだろうか。
常々思っていることなのだが、ライブはアーティスト側だけが作るものではないのではないか?客が良いものにしよう、楽しもうという気持ちがないと、ダメなのでないかと。高いお金払ってるから、それなりのものを見せるのは当然としても、その上のものは、客側にもその場にいるものとしての責任がある気がするのだ。
たぶん、あの特殊な時間には、いつも通りでは感じ取れない、見る側のぬくもりがあったのではないか。そこにはいないメンバーと見る側の力は、ジャケットに緑色で刻印されるべきだと作り手が思うほどだったのだろう。6+45000+緑のシルエットなのだ。ちゃんと7人いるのだ。
見る側にいる限り、ステージの上から見た本当のそれは感じられないのだろうけれども。
見る側が欲しいのは、演者の姿だけだから
「やっぱり、一人いないのはな。
なんでそんなんだすん?」
当然の意見である。
私自身も、寂しく無いといえば、嘘になる。
ちなみに、私はあの場にいなかった、
ツアーどの公演にも行けていない身である。
もちろん、ライブを見たい。
「嫌なこと思い出さしてしまうかもしれんし、
おしつけがましくてごめん、
だけど、ありがとうな」
そういう作品になっていればいいな、と思うのだ。
個人的には、
色々と見てきた身として、
元気でゆるゆるもりもり活動してくれていれば、
それだけで十分です。
アイドルって、やる方も見る方も大変ねー
35年前、この世界のこの時間軸に生まれてきてくれて。色々とあったみたいだけど、人を楽しませるお仕事に就いてくれて、ほんとうにありがとう。
絵の具が、紙にのったときにできる、不思議な立体感が好きです。
3色のみ使用して描きました。
うた、っていいなぁ